橋本景岳墓所
天保5年(1834)福井に生まれる。幕末の志士、福井藩士。通称は左内。家は代々福井藩の待医。幼少より秀才の誉れ高く、15才で「啓発録」を著した。
16才で大坂の緒方洪庵に師事し、蘭学と西洋医学を修め、江戸にわたり経世済民を志す。安政2年帰福した時、藩主松平慶永公に抜粋され、藩政改革にあたる。安政5年一橋慶喜擁立に努力したが、井伊直弼の大老就任によって失敗。安政の大獄に捕らえられ、翌6年(1859)刑死した。享年25歳。