斎殿清水跡(ゆやのしょうずあと)

 百段坂の上り口の左側。
 およそ500年ほど前、近くの人が清水を発見し「清水の池」と呼んでいた。
 やがて足羽神社の御饌炊水としても供され、いかなる天災にも枯れることなく、市民の絶好の納涼場として親しまれた。
何時の頃からか清水観音が祀られ、今でも守られている。


 清水を足羽神社まで運ぶのに「御神水の道」として付近の人が造ったのが始まり伝える。
 緩やかに尾根を登る登る愛宕坂に対し、東山腹を直登する急勾配の坂。貞享2年(1685)の図で見ると、当初は曲りながら上ったらしいが、文政11年(1828)松岡屋吉兵衛が世話人となり今の形に完成した。
 愛宕坂と交差する所には「時鐘楼」があり、町々に時を告げていた。

百段坂

横坂との分岐点には道標が…。上で愛宕坂と合流する。