「駅」とは…
 「駅」はそもそも線路ではなく道にあるものだったのです。
今でこそ「道の駅」といえば当たり前になりましたが、実はこれが本来の[駅]の姿です。当初は「鉄道線路にあるのが当然、道路にも駅を作るなんて面白い発想…」と考えた人もいるでしょう。

駅の誕生
 大化の改新(645)で、日本は律令制による新たな国家を目指し始めます。
 先ず国家として各地方を統一するために、交通手段を確立しなければいけませんでした。道路は、ただ道が出来ればそれで使えるというものではありません。その頃は徒歩や馬で移動をしていましたから、今以上に、旅をする人々に水や食べ物を提供したり、乗る馬を準備する場所を整備する必要がありました。そこで誕生したのが「
駅制」です。

全国に広がった駅制
 7世紀に始まった駅制は、律令制国家の充実とともに発展しました。約30里(後の4里・約16km)ごとに駅、渡し場に水駅をおき、駅長・駅子が駅馬・駅船を運営していました。駅制が敷かれた道「駅路」は、都から放射状に伸びて各地方の国府を結びました。
 さて、駅制の頃、駅は全国にどれくらいあったのでしょう。全国に駅路がほぼ完成した平安時代初期には401駅あったことがわかっています。平安中期にはこの駅制が衰退し、中世には交通の要地に宿が発達し、宿駅とも呼ばれていました。
 
ちなみに、平成15年8月現在の「道の駅」は全国で743箇所だそうです。

駅制の起源
 中国の唐代の制度を取り入れたものです。唐の駅制の起源は漢代にさかのぼり、30里ごとに駅が設けられ、駅馬が置かれて、通行証を交付された地方官吏などの通行に利用されました。
 一方で、古代のヨーロッパではローマに駅伝制度がありました。ローマの制度は紀元前後に制定されたと伝えられています。それぞれの幹線道路には40〜50kmごとに駅が設けられ、一定数の車馬が備えられていたそうです。
 国家統治の必要性から、主権者が馬を一定間隔に配置する駅制は、世の東西を問わず国家の成立に欠かせないものだったようです。


「駅」の字に馬がつくのは、「駅」が旅の途中で馬を調達するところだったからです。
「駅」の旧字「驛」のつくりは連なることを意味し、つまり「驛」は「馬を乗り継ぐ処」ということです。
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