神社概要 御祭神御由緒継体天皇年間行事境内碑文天然記念物付属団体 



【 御 神 紋 】









御 由 緒
 足羽神社の御神紋は「三光(さんこう)の紋」といい、これは非常に珍しい紋章で、「日(太陽)」と「月」と「星」を組み合わせ「○」で囲んで標されています。

 ・昼と夜に全ての物を照らし、命と力を与える太陽と月。
 ・夜でも方角の導きとなり、その不動の輝きから天皇を象徴す
  る星(北極星)。
 宇宙全体・大きな力、つまり御威光の壮大無辺を表しています。まさにご神徳を表すのに相応しい御神紋です。
 また、第14代仲哀天皇の皇后、神功皇后の三韓攻略の御旗に描かれた紋にちなんでいるともいわれています。継体天皇も朝鮮半島の任那(みまな)の援軍派遣に際し、同じ紋章を使っていたということでしょうか。

 五世紀後半ごろ、男大迹王(後の継体天皇)が越前でお過ごしの間に越前平野の大治水事業をされますが、まずその初めに朝廷に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を足羽山に勧請し、諸事の安全を祈願したのが足羽神社の起源とされています。
 第26代天皇として即位をされ越前を発たれる時に、「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生御霊(いきみたま)を鎮めて旅立たれて行かれました。
 それから継体天皇が主祭神として本殿中央に祀られています。

 足羽神社では古来朝廷を初め、世々の将軍、国主等によって尊崇の祭典を連綿と執り行ってきました。
 中でも桓武天皇、文徳天皇、朱雀天皇におかれては神位を授けられ、宇多天皇におかれては右大弁(律令制の官名)によって、毎年11月に17日間の「鎮魂祭斎行之儀」を宣下せられました。
 また世々に御厨地を置かれるなど、その神田地や臨時祭、神職等に関して、源頼朝を初め、将軍足利家、国主朝倉家等々の古文書や国史旧記等に歴然と記されています。
 そうして中古以来は武家伝奏執奏の社格にて、江戸時代社主44代に至るころには、41人が奉仕していました。


 しかし天正兵乱の際、社家の多くは滅び、神田は廃れ、神域もわずかに残るのみとなりますが、柴田勝家がこの国を治めるに当たり、足羽の神を深く尊信して、社殿を修理し祭供をされる事により、昔の規模には及ばずとも、著しくその社格を落とすまでには至りませんでした。

 その後は国主松平家代々の崇敬が深く、永世の神供物として毎年米二十俵を献じたり、創立御鎮祭の年を紀元とし、50年毎に「勅許宣命」並びに「御宸筆」を受け式年大祭を斎行するのを定例とされました。
 北朝貞和5年に下賜された光明天皇御宸筆「大宮地」と、文政12年5月の例大祭を以って下賜された仁孝天皇御宸筆「大宮地之霊」の額字がそれぞれ国宝に指定されていましたが、先の大戦にて他の文化財とともに宝物庫ごと焼失しました。

 近年では明治33年の橋南の大火、昭和20年の福井空襲、同23年の福井大震災などにより社殿は焼失倒壊しましたが、その度に再建され昭和34年に整備完了となりました。その後は昭和51年に御鎮座1500年に当るのを以って大祭をあげています。

 平成19年には継体天皇御即位1500年を奉祝し、本殿幣殿拝殿の増改修、社務所増改築をはじめ境内整備を行い、記念大祭を斎行しました。

御祭神御由緒継体天皇年間行事境内碑文天然記念物付属団体
足羽神社社務所 0776-36-0287 http://www.asuwajinja.jp/